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東京地方裁判所 昭和58年(合わ)333号 判決 1985年9月04日

被告人 松本四郎

昭九・六・六生 無職

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中四五〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和三〇年五月二一日から昭和三八年六月一日までの間、男児を絞頸して死亡させた事件(不起訴処分)により精神衛生法に基づき東京武蔵野病院に措置入院となり、更に、昭和四八年五月二九日、東京地方裁判所において、別の男児誘拐殺人の罪により懲役一二年に処せられて服役し、昭和五八年九月三〇日、岐阜刑務所を満期出所し、その後、一六万円余りの所持金を携えて上京し、自己が服役する前まで母や兄と住んでいた東京都葛飾区金町五丁目所在の金井荘を尋ねたが、同荘が取り壊わされていて、母、兄は消息不明であり、また、同区内に嫁ぎ先があつた姉もすでに転居していて会うことができず、他に頼れる身寄りもなかつたところから絶望的な気持ちを抱くに至り、一方、岐阜刑務所出所当時の所持金は、その大半を紛失してしまい、残りも東京都内のホテルや旅館を泊り歩くうちに殆ど使い果たしたため、同都葛飾区新小岩一丁目所在のカプセルホテル「レインボー」宿泊中に知り合つた両足の不自由な古川某を介護する代わりに同人から宿泊代や食事の世話を受けるなどしたものの、同年一一月一六日ころ同人と別れたことから金銭に窮するようになり、また、それまでの間、右「レインボー」の従業員に就職斡旋方を依頼するなどして職探しの努力をしたにもかかわらず、いずれも高齢を理由に断わられ、就労することもできなかった。このような状況の下で、被告人は、同一六日夜は、以前「レインボー」で知り合つた重藤某から宿泊代を借りて同ホテルに泊り、翌一七日午前一〇時三〇分過ぎころ、従業員から職探しの交通費の名目で五〇〇円を借り受けた上、同ホテルを出て、国電、バスを乗り継いで同都葛飾区金町方面へ向い、その付近を当てもなくぶらついたあと、同区柴又三丁目三〇番二四号所在の八幡神社境内に立ち入つた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五八年一一月一七日午後、前記八幡神社境内において、銀なん拾いに来ている子供らを見たりしながら、将来の生活などについてあれこれ思案するうち、前記のとおり、刑務所から出所してきたのに母や兄らに会うことができず、他に頼れる身寄りもないこと、就労しようとしても高齢を理由に断わられること、所持金も殆どなくなつたこと等々が思い出されて、強い絶望感、不安感に襲われ、それに加えて、昼にパン一個と牛乳一本を飲食したのみであつたため空腹感と疲労感を覚え、次第にいら立たしい不快な感情を募らせ、情緒が著しく不安定な状態にあつたところ、同日午後四時二〇分過ぎころ、同神社神殿裏側で銀なん拾いをしていた小学生新里栄太(当時一二歳)の姿を認め、同児に対し、同神殿を囲む鉄柵の立入り禁止とされた内側を示しながら、「この中に入ると、銀なんがいつぱいあるから取つてみな。見張つてあげるから。」などと声を掛け、同児が鉄柵内に入つて銀なん拾いを始めると、周囲を見回すなどして見張りをしたり、鉄柵の傍らに置いてあつた同児の自転車を人目に付くとして少し離れた同神社倉庫裏に移動させて隠したりし、或いは、自らも鉄柵内に入つて銀なんを拾つてやり、しばらくして、「こわいおじさん(管理人)が居るから、こつちに隠れていな。」と言つて、同児を鉄柵内の社務所からは見通しの利かない場所に先導し、その場に座わらせて、家庭や学校のことを質問するなどして雑談し、前記のような不快感等を紛らわせていたが、そのうちに、辺りが薄暗くなつてきたことに気付いた同児が帰宅しようと立ち上がつて鉄柵出口方向へ歩き出し、これを見て、同児が居なくなつてしまうと寂しくなるので帰したくないとの思いから、引き戻して元の場所に座わらせ、「三〇分したらここに居るおじさん(管理人)は行つちやうよ。」などと話し掛けて、引き止めようとしたものの、同児がこれを聞き入れず、「薄暗くなつたので、もう帰る。」と言いながら再び立ち上がつたため激怒し、同日午後四時四〇分ころ、とつさに、殺意をもつて、両手で同児の頸部を強く絞めつけ、同児から自己の腹部を蹴るなどの抵抗を受けて一旦手を離したあと、同児が助けを求めて叫び声を上げるや、再度両手でその頸部を強く絞めつけた上、倒れたところを靴ばきのまま力いつぱいその顔面を踏みつけるなどしたが、同児が機転をきかせて絶息したように装つたことから死亡したものと誤信してその場を立ち去つたため、同児に全治約五日間を要する頸部・顔面擦過傷を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかつたものである。

なお、被告人は、知能障害(境界線知能)と顕著な異常性格(小児的性格)を基盤にし、不快な体験刺激に由来する著しい情緒不安定の状況の下で、衝動的に本件犯行に及んだものであつて、当時心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(累犯前科)

被告人は、昭和四八年五月二九日東京地方裁判所で誘拐、殺人の罪により懲役一二年に処せられ、昭和五八年九月二九日右刑の執行を受け終わつたものであつて、右事実は検察事務官作成の前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇三条、一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人には前記の前科があるので、同法五六条一項、五七条により同法一四条の制限内で再犯の加重をし、右は心神耗弱者の行為であるから、同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役六年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中四五〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(当事者の主張に対する判断)

本件犯行時における被告人の精神状態について、弁護人は、心神喪失若しくは心神耗弱を主張し、検察官は、そのいずれもが否定されるべきであると主張するので、以下この点について判断する。

前掲各証拠によれば、被告人は、性染色体異常による疾患の一型であるクラインフェルター症候群として、同症候群特有の精神症状である知能障害と異常性格を有し、そのうち知能障害は境界線知能に位し、一方、性格・情緒面では人格が甚だ幼稚で小児的であり、自立能力ないし社会適応能力も極めて貧困で、欲求不満状況等に置かれた場合には情緒が著しく不安定となるほか、その精神的、社会的な未熟さのゆえに大人同士の対人関係を持つことができず、子供相手に遊びたがる等の特徴が指摘されるなどその障害は顕著であること、被告人が岐阜刑務所出所後に体験した事実は、母や兄らの身寄りを探してもその消息すらつかめず、更に、あれこれ職探しの努力をしたもののいずれも高齢を理由に断わられ、また、金銭的にも所持金の大半を紛失した上、ホテルや旅館を泊り歩くうち殆どこれを使い果たしてしまい、他人から宿泊代や食事の世話を受けるなどしたことはあつたものの一時的であり、本件犯行当日朝には所持金がなくなり、仕方なく、宿泊先ホテルの従業員から五〇〇円を借り受けるというどれを取つても絶望感、不安感を抱かせるものであつたこと、被告人は、本件当日、ホテルを出て、犯行現場である八幡神社の周辺を当てもなくぶらついたあと同神社境内に立ち入り、銀なん拾いの子供らを見たりしながら、将来の生活などについて思案するうち、前記の刑務所出所後の出来事があれこれと思い出されて、強い絶望感、不安感に襲われ、それに加えて、十分な食事を摂つていなかつたため空腹感と疲労感を覚え、次第にいら立たしい不快な感情を募らせ、情緒が著しく不安定な状態にあつたこと、その際に、判示のとおり、銀なん拾いをしていた被害児を認めて近付き、神殿の鉄柵内に入つて銀なん拾いをするように誘い、同児の自転車を人目に付かない場所に移動させて隠し、更に、「こわいおじさん(管理人)が居るから、こつちに隠れていな。」と言つて、同児を社務所からは見通しの利かない場所に連れ込んだ上、本件犯行に及んだことなどが認められる。ところで、被告人の検察官に対する昭和五八年一二月七日付供述調書中には、「いらいらして爆発的な気持ちになつていたところ、神殿の裏側で被害児が楽しそうに銀なん拾いをしているのを認め、うらやましく思うと共に憎らしくなり、殺したいという気持ちになつた。」という趣旨の記載部分があり、これによりすれば、右に摘記した被告人が被害児を神殿の鉄柵内に誘い入れてから本件犯行に至るまでの間の行動は、被害児を殺害するための計画的な準備行為と見られないでもない。しかしながら、被告人は、本件犯行に先立ち、その一時間ほど前に被害児が友人と共に銀なん拾いに来た際に、被害児に銀なんを入れるためのビニール袋を与え、銀なんを拾つてやるなどし、本件犯行時においても、一緒に銀なん拾いをし、或いは、被害児に対し家庭や学校のことを質問するなどして雑談する等の子供相手の遊びと見られる行動にも出ているのであつて、被告人の司法警察員に対する昭和五八年一一月一八日付供述調書中の「この男の子をこのまま家に帰したくない気持ちが起きてきて、この子供としばらく一緒に居ようと考え」との記載、同じく検察官に対する同年一二月七日付供述調書中の「自分でもよく分からないのですが、子供が帰つてしまつたら寂しいという気持ちもありました。」との記載、更には、当公判廷における「子供を見ると、すぐもやもやが直る。」との供述部分や、被告人が精神的、社会的に未熟で子供相手に遊びたがる傾向を有することなどに照らせば、被告人は、被害児を遊び相手として一緒に銀なん拾いをし、雑談するなどして、その不安感、不快感等を紛らわせていたものと認められる。そうすると、被告人が被害児の自転車を人目に付かない場所に隠したり、同児を社務所からは見通しの利かない場所に連れ込んだりした行動を同児殺害のための計画的な準備行為と見るのは不自然ということになり、これらは、銀なんが多数落ちている立入り禁止の神殿鉄柵内に被害児を誘い入れたことに付随して、同所で銀なん拾いをしている姿を他人又は神社関係者に発見されないようにするための行為で他意はなかったと認めるのが相当である。そして、前掲各証拠により認められるように、被告人は、一緒に遊んでいた被害児が帰宅しようと歩き出したのを見て、同児が居なくなつてしまうと寂しくなるので帰したくないと思い、引き戻して元の場所に座わらせ、「三〇分したらここに居るおじさん(管理人)は行つちやうよ。」などと話し掛けて引き止めようとし、同児がこれを聞き入れず、「薄暗くなつたので、もう帰る。」と言いながら再び立ち上がると、これに触発されたように態度を一変させ、とつさに、殺意をもつて、無言のまま両手で同児の頸部を強く絞めつけ、同児から自己の腹部を蹴るなどの抵抗を受けて一旦手を離したあと、同児が助けを求めて叫び声を上げるや、再度両手でその頸部を強く絞めつけた上、倒れたところを靴ばきのまま力いつぱいその顔面を踏みつけるなどし、同児が絶息した素振りを示したのを見て死亡したものと誤信し、直ちにその場を立ち去つたが、この犯行は、その直前の被害児を遊び相手としていた被告人の行動からはおよそ予測することのできない異質で衝動的なものである。また、一緒に遊んでいた被害児を突如殺害しようとしたことにかんがみ、その犯行の動機は、被告人がそれまで抱いていた不快感等のうさ晴らしのためではなく、著しく情緒不安定な状態の下で被害児の言動に激怒したことにあると認められるのであつて、それが被害児の「薄暗くなつたので、もう帰る。」と言いながら立ち上がつて帰宅しようとした極めて些細な言動に触発されたものである点において、犯行の動機として異常である。

以上を総合すれば、被告人は、クラインフエルター症候群による知能障害(境界線知能)と顕著な異常性格(小児的性格)を基盤とし、刑務所出所後の絶望不安な体験や、空腹疲労感のため不快な感情を募らせ、著しく情緒不安定な状況の下で、被害児の些細な言動に触発されて、強度に興奮して激怒したため、衝動的に本件犯行に及んだのであつて、当時是非善悪を弁識し、これに従つて行動する能力が著しく減退した心神耗弱の状態にあつたものと認められる。なお、被告人の本件犯行態様は、両手で被害児の頸部を強く絞めつけ、同児から抵抗を受けて一旦手を離し、同児が助けを求めて叫び声を上げるや、再度両手でその頸部を強く絞めつけるなどしたもので、倒れた同児の顔面を踏みつけるという殺害目的の達成には有効とは思われない部分があるとしても、全体としてまとまりを持つた意図的な行為態様と評価することができるほか、前掲各証拠によれば、被告人は、犯行直後犯行現場付近で被害児の父に逮捕、追及された際、「むしやくしやしてやつた。」「警察だけはやめてくれ。」などと自己の犯行を肯認すると共に、その責任を回避しようとする言動に及んでいること、捜査段階において、被告人の本件犯行に関する記憶は、若干不鮮明さはあるものの、相当程度に保持されていたこと、被告人にはクラインフエルター症候群による精神症状を除き、他に精神病の症状はないことなどが認められ、これらの諸事情を併せ考えると、心神喪失はこれを否定すべきである。

(量刑の事情)

本件は、男児を絞頸して死亡させた事件(不起訴処分)により精神衛生法に基づき措置入院とされ、更に、別の男児誘拐殺人の罪により心神耗弱の認定を受けた上懲役一二年に処せられた前科を有する被告人が、またも、神社境内で銀なん拾いをしていた見ず知らずの被害児と遊ぶうち、同児の「薄暗くなつたので、もう帰る。」と言つて帰宅しかけた些細な言動に激怒し、殺意をもつて、両手で同児の頸部を強く絞め続けるなどしたが、同児が機転をきかせて絶息したように装つたことから死亡したものと誤信してその場を立ち去つたため殺害未遂に終わつた事案であるところ、被害児にとつて被告人の激怒は全く理不尽なものであつて、同児には何らの過失もないこと、それにもかかわらず、突如として無防備で抵抗力の弱い被害児の頸部を両手で強く絞め続けたその犯行の態様は悪質であると共に、危険極まりないものであること、被害児やその親は、本件犯行により強い恐怖と衝撃を受け、その怒りも甚大であるが、これに対して未だ全く慰謝の方途が講じられておらず、その宥恕も得られていないこと、本件犯行が見ず知らずの児童に対する無差別の殺人未遂事件として社会一般にも多大の不安を与えたと推測されることなどの諸事情を併せ考えると、被告人の刑責は重大であるというべきである。したがつて、本件が被害児の機転もあつて幸い未遂にとどまつたこと、被告人にはクラインフエルター症候群による知能障害と顕著な異常性格という負因があり、この負因に、刑務所を出所したにもかかわらず親や兄らに会うことができず、職探しにも失敗して所持金もなくなるという不運などが加わつて、情緒が著しく不安定となり、本件犯行は、かかる状態の下で偶発的になされたものであること、本件犯行についての被告人の反省の態度など被告人に有利な諸情状を十分しん酌してみても、被告人を懲役六年に処するのが相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 神田忠治 雨宮英明 加々美光子)

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